こんなワインです
ネイヴェ村のサン・クリストフォロ、ファウソニ、マルコリーノ、クラの葡萄をアッサンブラージュしている。収穫のタイミングが違うので別々に発酵してアッサンブラージュ。醗酵は15~20日間で一時期よりも長くなっている。熟成はバリックで12~18ヶ月。その後、瓶熟成6ヶ月以上を経てから出荷。
ラバヤ・ディ・ブルーノ・ロッカのワイン
WINERY
生産者情報

ラバヤ・ディ・ブルノ・ロッカ
●最も力強いバルバレスコ『ラバヤ』●
バルバレスコを代表する畑ラバヤの最上部を所有。バルバレスコ最高評価を受け続ける彼等の仕事は畑が全て。銅 さえ使わず、天然素材のみで病気にも対応。完璧な葡萄作りに専念している。
ブルゴーニュの影響
1834 年、「フランチェスコ・ロッカ」と妻「マリア・アデラ イド」がバルバレスコで野菜、果実の栽培を始めたの が始まり。 1958 年にはバルバレスコの中心街の家を売り、郊外 の「ラバヤ」に移住。葡萄栽培中心の農家へと変わ っていった。
『当時からラバヤは高品質の葡萄が育つことで有名 で他のバルバレスコと区別されて高い価格で買い取 られていた』
当初は収穫した葡萄全量を協同組合や近隣の造り 手に葡萄を販売していた。父が亡くなり「ブルーノ」が 当主になった 1981 年にボトリングを開始。
『父は醸造設備だけでなく 3 年以上も時間を必要と するワイン造りに反対だった。葡萄を売れば 1 年で お金を得ることができるのだから』
30 年の歴史しかない造り手ながら、他の造り手達も 認めるバルバレスコを代表する造り手となった。
『当時のバルバレスコはブルゴーニュと比べて遅れて いた。セラーは不衛生で収量制限も行われていなか った。ワインは酸味が強く不均衡だった』
30 年前のバルバレスコには「テロワール」という概念 自体が存在しなかった。畑毎の土壌や「ミクロクリマ」 の違いをワインに表現するという考えを持った造り手 は皆無だった。 「ブルーノ」は何度もブルゴーニュに渡り土壌の扱い 方、栽培、醸造まで学んでいく。
『バリックの導入もブルゴーニュの影響だが、バリック の香は嫌い。酸素を供給する為に使う』
彼等の葡萄は土壌改善と収量制限によって力があ る。ワインが成長する為にはバリックを通して酸素と 触れ合うことが必要になる。 フ ランス、アリエ産を中心に彼等が木から選んで 36 ヶ 月以上乾燥させたバリックを使用。香も抽出されるタ ンニンも控えめ。
海藻で病気から守る
一時期は「ロータリーファーメンター」を使用し、速や かな抽出と色素の安定に取り組んだ。 現在は縦型ステンレスタンクでの発酵に回帰した。 横型の発酵容器では果帽がワインに接している面積 が多く調整が効かないというのがその理由。
『縦型タンクは果帽が上部で完全にワインに漬から ない。ワインに触れる面積比も横型より低くなる。ル モンタージュの回数によって調整ができる』
年毎の果皮の成熟度、硬さによってルモンタージュ かピシャージュを使い分け、回数も調節することでバ ランスの良いワインに仕上げている。 一方、畑では化学肥料は一切使用しない。ボルドー 液さえも使用しない。
『ボルドー液中の銅の毒性は強く 6 ヶ月以上土壌に 残留する。更に銅はネッビオーロの命である酸を下 げてしまう効力もある』
我々が畑で使うのは海藻由来の粉末、天然硫黄と 自家製コンポストのみ。全て自然のもの。硫黄は 2 週 間で土に戻る。
トゥーフォ(青い石灰)のラバヤ
「ラバヤ」を中心にネイヴェ側の「クラ」。トレイゾにも所 有。全ての畑はクリュを名乗れる区画。
『畑名の入らないバルバレスコも全てクリュ「クラ」の 葡萄 100%で造られている』
最も重要な畑「ラバヤ」は「トゥーフォ」と呼ばれる石 灰質の堆積土壌。南西向きで日照量が最も多い畑。 盆地上になっている下部にはタナロ川。 北のアルプスから冷たい風が吹きつける場所でカビ や病気から葡萄を守ってくれる。
『ラバヤの土壌は珪素が強く出る。他の畑より青が かった色調が特徴。近年、ラバヤは拡張されたが拡 張前のオリジナルの場所を所有している』
彼等のラバヤは最高の位置。下部はタナロ川の湿気 がたまり良い葡萄はできない。ラバヤは所有している 場所によって全く違う。
『コパロッサは砂質と小石が多い土壌。粘土比率が 極端に低い。骨格では劣るが香の広がりや可憐さ ではラバヤ以上。若いうちから開く』