こんなワインです
アントニオ・チェッリから譲り受けたレ・ピアーネ区画を中心にトラヴェルサーナ、モットセルゴ等5つの区画のアッサンブラージュ。樹齢は30~50年。土壌は火山由来の斑岩土壌。発酵は木製桶で野性酵母のみで行い、30日間のマセラシオン。1日に1、2回ピジャージュ。マロラクティック発酵前に大樽に移し変えて、そのまま36ヶ月間以上熟成。瓶詰め後18ヶ月間以上熟成。
レ・ピアーネのワイン
WINERY
生産者情報
レ・ピアーネ

ネッビオーロの北限『ボーカ』復活
1950年代に全滅した産地ボーカを最後の造り手アントニオ・チェッリから引き継ぎ、復活させたクリストフ。今では各評価誌で最高評価を獲得している
❖薄れていくピエモンテの個性❖
バローロやバルバレスコを中心にランゲ地区は間違いなくイタリアを代表する産地で、ネッビオーロはイタリアを代表する高貴品種。近年、昔ながらのネッビオーロの個性を味わう機会は激減している。特にランゲの伝統的ネッビオーロに出会えることは稀になってしまった。
『ボーカには昔のピエモンテがまだ残っている。仕立も栽培も醸造も。そして人も。ピエモンテらしさを残していきたい』
「レ・ピアーネ」の現オーナー、クリストフ・キュンズリは元々ワインのインポーター。イゾレ・エ・オレーナやG.D.ヴァイラ等、自分の好きなイタリアワインをスイスに輸入していた。
『イゾレ・エ・オレーナのルーカがレ・ピアーネを飲ませてくれた。衝撃だった。他のどのネッビオーロより偉大なネッビオーロだった』
クリストフはピエモンテの北端ボーカの小さな造り手レ・ピアーネに毎月通うほど夢中になっていく。当時のオーナーはアントニオ・チェッリ。
『当時、ボーカの造り手は7人まで減少していた。アントニオ・チェッリのワインは奇跡だった。大樽で10年も寝かすなんて常識ではできない』
高齢だったアントニオ・チェッリが病気でワイン造りを断念した時、家族はカンティーナも畑も手放し外国人であるクリストフに託すことにした。
『他にやる人がいなかった。自分の愛したボーカが無くなるのは嫌だったので引き受けた』
クリストフが引き継いで20年。今では最北のネッビオーロの産地として注目され、造り手も15人まで増えた。町自体も活気づき、中断されていた朝市も復活。町の中央にはバールも復活した。
❖1950年、1951年の雹害で全滅❖
『アントニオ・チェッリの醸造、畑仕事を忠実に再現していった。特殊な「マジョリーナ仕立」もそのまま残した。栗樽だけは壊れてしまった』
マジョリーナ仕立は2~3本の樹を棚作りにし、人が輪になって手をつないでいるように枝を仕立てるもので雹が多いこの地域独特の仕立。
『1950、51年にワインを全く造れないほどの雹害が続いた。すでに衰退し始めていたボーカは完全に終わったと言われている』
マジョリーナ仕立は葡萄が下部に付き、その上に枝と葉が覆いかぶさるように仕立てるので雹が直接葡萄にあたらない。ボーカはピエモンテの最北部に位置。標高は500mを越える。北限に位置するが山に囲まれ盆地になっているので暖かい空気がたまる。オリーヴや椰子の木が育つくらいに温暖。アルプスに近いので山風が湿気を除去し病害は少ない。夜間の山風は冷たく昼夜の温度差が激しくなる。これがワインにストラクチャーを与える。
『この激しい寒暖差が雹害を引き起こす。山に守られることもあれば山にやられることもある。自然には逆らえない』
彼等の畑は国立自然公園に指定され、薬剤の使用は禁止されている。
❖火山岩のネッビオーロ❖
土壌は火山岩主体。そこに石灰岩と砂質が混ざる極度に痩せた土壌。
『ランゲは粘土石灰質でアルカリ性。ボーカは火山岩主体で酸性の土壌。PHも低く酸度の高い、硬質なネッビオーロが生まれる』
火山岩土壌は通常ソアヴェやグレコ・ディ・トゥーフォなど白ワインが造られる。赤ワインはエトナが有名だが非常に珍しい。ランゲは進化している。進化の過程で欠点は薄まっていく。同時に「ピエモンテらしさ」も少し薄まっているのかもしれない。ボーカはピエモンテの素朴さを感じさせてくれる。
『僕は醸造家ではないのでアントニオ・チェッリの真似をしているだけ。彼のワイン造りにテクノロジーは無かった。感覚だけだった』
ボーカは大樽で4年間熟成してからボトリング。瓶熟2年。バローロよりも遅れて出荷される。もう1つ伝統のワインが「コッリーネ・ノヴァレージ」。
『白葡萄も含めた13種類の葡萄が混植された昔の畑。葡萄は一斉に収穫され、一緒に発酵される。発酵終了後、澱引きしてそのまま1年間熟成して出荷される』
主要品種はネッビオーロとクロアティーナだが白品種のアロマティックな香りも感じる。ミネラル表現に向く素直なワインだが、懐かしい味わいがある。
